2006年10月06日

武蔵国誕生まで

またまた大雨!???i?`???L?j昨日に引き続き調布の歴史第2弾
稲作が伝来したからといって今のように充分な米や麦が取れたわけではない。大雨もあれば台風もある、まして肥料などない時代、まだまだ狩猟やドングリの実。魚や貝などをとって生活していた。たぶん米がとれればふんだんに食べられるという古代の人々の願望があったのではないか。
しかしそれを克服して徐々に農耕社会へと移行していき、食料の安定化を実現した。それは階級社会の始まりでもある。沢山米がとれれば備蓄をしそれを背景に強い者が弱者を統合していく。
2世紀には九州を中心に強大なクニが形成され倭国大乱に発展し、3世紀には魏志倭人伝に古代最高のヒロイン卑弥呼が登場する。
しかし多摩を中心にしたこのあたりは比較的穏やかでまだ文化的に遅れていて意外と平穏だったのではないかとおもわれる。
img141.jpgimg142.jpg
【図解調布の歴史参考】
竪穴式住居.jpg

写真クリックすると拡大写真になります。
調布市内には大型の古墳は存在していない。小型の古墳(円墳)群が布田から飛田給にかけてある。むしろ狛江の方が素晴らしい古墳が存在している。
小首長が統治していたと思われる。
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img145.jpg

埴輪.jpg

古墳時代は3世紀から7世紀まで続くが、調布の古墳は6世紀末から7世紀のものがほとんどで、4世紀ぐらいはまだ小規模集落だが6世紀末ぐらいから人口も増加していく。
第32代崇竣天皇時代(589年)佐須村虎柏(狛)神社が神地を賜ると伝えられている。これが本当ならば調布でも古い神社であり、多摩においても古い神社の一つである。
ともあれ、645年日本に激震が走った。クーデターである。大化の改新。
これを契機に中央集権体制となり、律令国家が誕生した。
国の60になった。武蔵国は元々无邪志と書いた、胸刺(むさし)知々夫(ちちぶ)と三ヶ国を統合して无射志(むさし)国が誕生した。
規模により大・中・小とあるが无射志国は大国だった。
国の下に郡(最初は評)その下に里(のち郷となる)をおいた。
したがって調布は无射志国多麻郡狛江郷となる。
多麻郡とは今の多摩から中野・杉並世田谷である。
img146.jpg

写真をクリックすると拡大します。
またまた雨が降れば歴史続く!
posted by 爽崖 at 16:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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