2006年10月11日

またまた歴史第3弾

今日はいけるところまでいくよ!
前回多麻郡狛江郷と書いたが多麻とは多摩川流域は苧麻(からむし)とよばれ、多くとれた。麻の歴史は古く紀元前4000年頃エジプトの遺跡から麻の布が発見されている。日本でも弥生時代の布の一部が出土している。
これを租・庸・調の調として布を朝廷に納めていた。そしてこの苧麻のことを「麻」とよび、多く麻が取れるところから多麻と呼ぶようになっていた。
また世田谷区の砧は自生している「からむし」を刈り取り、皮をとって
布にするが、それを多摩川でさらすが、繊維がかたいので板でたたて柔らかくする、この板のことを「砧」と呼んでいた。
また狛江の由来としては一番言われている説として渡来人特に高句麗人が移り住んだ。高麗人が居たところ→高麗居→駒井。
又狛江は旧朝鮮語からきているとか、多摩川に大きな入江があったとか
「コマイ」のイが変化して狛江になった。と諸説あります。
狛江の事はさておいて、ここからは旧神代村を中心に話しをしましょう。
684年天武天皇の時代百済から僧侶・男女23人が武蔵国に置くと日本書紀に書かれていて初めて武蔵という名称が出てくる。
持統天皇時代(687〜690年)断続てきに新羅より渡来人が移り住んでいる。かなり早くから仏教信仰が発達していて、7世紀末にあの深大寺の釈迦如来倚像が作成されたとの伝承がある。このことから調布・狛江は早くから渡来人との関わりがある土地なのである。
img147.jpgimg148.jpg

<図説調布の歴史参考>重要文化財指定及「深大寺縁起絵巻」
但し、深大寺創建は天平5年(733年)萬功上人によると伝えられる。
一説には天平6年とも。
萬功(まんくう)上人は旅人福萬と郷長の娘とが深い仲になり、深沙大王(じんじゃだいおう)の助けにより結ばれ子供をさずかり、その子供が萬功上人であると深大寺縁起にしるされている。いずれにしても国分寺の創建が天平13年(741年)完成が天平勝宝7年(755年)だから多摩において最古に近い寺である。
時間がきたので今日はここまで。
ことわっておきますが、このブログは歴史物ではありません、あくまでウォーキングが主体です。<続く>





posted by 爽崖 at 13:01| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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